自分の言葉で語ってないでしょと感じる時

この週末も「まん防」ですし、遠くへは出かけずに、家でしつこく片付けと煮込み料理をしています。圧力鍋の価値を再認識してから、ポトフ、煮豚などを引き続き圧力鍋と鋳物鍋(STAUB/ストウブ)と両方使って比較しています。
今日、タサン志摩さんの「何度でも食べたい極上レシピ」(マガジンハウス社)を買ってみました。美味しそうなレシピを色々試してみたい。冬は煮込んだあたたかいものが身体に沁みます~。特に今年は寒いですしね。

ところで、インタビューで感想を聞いた時に「”普通に”美味しいです」とか言われると「ん??どういう意味で普通?」と疑問でいっぱいになるので、意味を掘り下げます。思ったよりも美味しかったけれどすごく好きではないという意味なのか、もっと大きく期待していたのに、まあ普通(標準的)なのでがっかり、なのか。「普通に」に、全然違う含意があるのか。そういうポンと出てくる反応の中には曖昧なものが多いので、考えて具体的に説明してもらうようにしています。
テレビでも、なんでもかんでも「癒されます」や「勇気(とか元気)をもらえた気がします」など定型の感想コメントが多くて残念だな~と思います。対象的にできるだけ自分の言葉で自分の感覚を説明しようとする人もいます。この差は何なのでしょう。自分の意見を言うと批判されるのが嫌なのか、そこまで深く考えていない、つまり関心がないからそういう反応なのか、自分の言葉で表現できないのか。どんな意見でも受け止められると思うのですが、不思議です。少なくとも子供の頃から大人が押さえつけてしまうと、考えた上での自分の意見を言おうとは思わなくなりますよね、きっと。
「~~だと思います、なぜならば、~~だからです。」の理由こそが大事です。そう考えた背景を理解してこそ意見の意味がわかるはず。インタビューでもどちらがいいと思いますかの問いに対する理由を聞くと、嬉々として語る人(あるいは場面)と「え~っそんなこと言いたくない」、「言えない」という表情になる人(あるいは場面)とあって、毎回不思議ですが、恐れず、あるいはゼロベースで率直に理由を掘り下げて聞くことが大事です。意外な理由が語られることも多いです。人はみんな違うな~と思います、だからこそ聞いてみないとわからないんですよね。